bradshaw's diary

日々感じたことを心のまま素直に綴るブログ

話題をすり替える男

とある問題が発生して、不快な思いをした男性からクレームが来た。


内容としては本当にちっぽけな話で、

彼の主張をまとめると

・自分には非がない

・なぜ非がない自分が周りに合わせなければならないのか

ということに。


ただ、話を進めていく中で

彼は必ず同じオチに持っていく癖がある。


それはこういうものだ。

「自分はこんなしょーもないことにキレるような男ではない」

「そうさせているのは、環境である」

と、そこかは延々と自分の置かれている負の環境についての話が続く。


この負の環境話、定期的に聞いている。

というのも、毎回何かダメなことが起こると全ての原因がそこに落とされるからである。


ただ、私が解決したいのは一番最初に書いた“とある問題”であり、

彼の負の環境の話ではない。


全ての根源がそこにあると信じてやまない彼は

きっと気付いてるが怖くて認めたくないから、

話をすり替え続けているのだろうか。


環境ではなく、彼が一番の問題だということを。


でも、それは気付き認めることも彼にしかできない。

その問題と向き合うのも彼にしか出来ない。


私はどうすることが、彼にとって一番なのか?

私にとって一番無害なのか?

考えることにしようと思う。

物差しのサイズ

誰でも喜怒哀楽の感情が与えられている。

小さなことでも喜べる人もいれば、

自分の身の回りに常に怒っている人もいる。

楽しさを求めすぎて、今の楽しさに気付けない人もいる。

哀しみに潰されそうになっている人も。


そして、何も感じない人もいる。

感じないのか、表現しないだけなのか。

感じないようにしているのか、表現できないのか。

私にはわからない。


そういう人に出会ったら私は

きっとこの場から立ち去らないから楽しんでいる【のだろう】

プレゼントを使ってくれているから喜んでいる【のだろう】

と勝手にこちらで良いように解釈する。


もちろん、こちらで勝手に考えている以上は、外れることもある。

何だか裏切られた気分になることもあるけど、

よくよく考えてみたらこちらで勝手に妄想しているだけで

その人からするとはた迷惑な話。


自分の物差しで人を判断してはいけない。そう、父に教わった。

人それぞれサイズ感の違う物差しを持っている。ということ。


今まで、相手の持っている物差しのサイズ感を理解しなければ。

そう考えていたが、やっと父の言葉の意味がわかった。


自分の物差しは自分だけのもの。

それぞれを尊重すべき。


だから、もう勝手に裏切られるのはやめよう。

相手の感情を想像するのはやめよう。